けん玉(拳玉、剣玉、ケン玉、ケンダマ)の歴史 -その2-

けん玉はどこから来たのか そのルーツを探る


その1はこちら

フランスの古い絵葉書や文献にビルボケと呼ばれる遊びが多数登場することで、けん玉様の玩具の知名度としてはフランスのビルボケが圧倒的に有名です。
現在の定説(?)では、フランスのビルボケが日本に伝わったという説で、16世紀頃から流行していたという時期から推察しても、形状が似ていることからも、説得力があるように思われます。

しかし一方で、(現在のところ)どの文献にも現れないのが日本のけん玉は「どこから来たのか」という事です。

フランスのビルボケが日本にやってきた、と断言するのがわかりやすく、妥当性もありそうだなと思うのですが、「なにが」「どこから」「どこへ」「どのように」という証拠が一切ない現状では、これは推論として留めておくべきなのかもしれません。
上記、紹介した文献上も「拳玉というものできたり」「安永年間に創案された」という表現となっています。大正時代以前のどの文献にも、ビルボケの「ビ」の字もでないのに、そんな風に言っても良いのだろうか、という率直な疑問が頭から離れません。

※写真は、1907年に英国の新聞で紹介されたビルボケ。様々な形状、大きさのものがあるのが興味深い点であり、「けん玉」ではないビルボケの進化が見て取れます。

※「日本の遊戯」(小高吉三郎著、羽田書店、1943)では中国からの渡来であろうという推論を載せていますが、こちらについても根拠については一切書かれていません。これを受けてか、斎藤良輔著「日本人形玩具辞典」などの玩具分類図鑑等で中国説をあげる書籍も見受けられます。

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世界の遊びを紹介する「GAMES OF THE WORLD」

1975年刊、フレデリック・グランフェルド著「GAMES OF THE WORLD」という本があり、ビルボケ(Bilboque)が紹介されています。その一文に
「日本版(ビルボケ)では、大きさの違うカップ(皿)が3つあり、持ち手下部に小さな皿、中皿と大皿が対になってけん先の根元に位置している」と紹介されています。ビルボケ欄にあるので勘違いされるかもしれませんが、ここでも日本のけん玉はビルボケ起源という説は、とられていないことは明らかです。あくまで、「日本の」けん玉は、という事で紹介されています。

※但し、ここではビルボケをフランスの玩具だという限定ではなく、「世界中に様々な名前で存在する(ひもで結ばれた)玉や骨、リングを棒で刺す遊び」として紹介しています。
その上で、「王族・貴族の、高貴なビルボケ遊び(ホレス・ウォルポールがそう呼んだ)だった時代もあった。16世紀にはフランスのアンリ三世がビルボケが好きで、宮殿やパリの街をけん玉をしながら歩くほどだった」と紹介しています。

補足:ホレス・ウォルポール(1717~1797)はイギリスの政治家、小説家
※ビルボケの紹介ページ内には、19世紀フランスの6コマ漫画や、エスキモー(原文ママ)のけん玉(Ajaqaq)等も紹介されています。

※1978年邦訳版が出版されていますが、ビルボケのページは邦訳書には採用されていません。原作は「世界のゲーム(GAMES OF THE WORLD)」ですが、邦訳は「ゲームの世界」となっており、表紙にも「THE WORLD OF GAMES」と記載されていて、原作を探す際に大いに混乱しました。

※また、日本のアイヌ民族にもこのけん玉様の遊び道具があります(鷹の爪輪)。

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日本のけん玉(拳玉、剣玉、ケンダマ)の起源を求めて

※写真:各国流行玩具図解製造法

フランスから来た玩具である、というような参考になるかもしれない文献に大正7年「各国流行玩具図解製造法」(佐瀬文哉 著 目黒分店)という本がありました。

タイトルを見た瞬間に、もしや!と期待を抱きましたが、そこにも日本のけん玉の元祖がフランスだ(フランスのけん玉が日本に伝わった)というような記載はありませんでした。
「各国流行玩具図解製造法」上巻第四節にはフランスの玩具についての紹介ページがあります。

「仏國玩具の特所」という項目があり、

【運動玩具が多い】

運動玩具とは、例えば日本の羽子板のように、練習して上達すると同時に自己の運動にもなるものである。独逸(ドイツ)等でも同様である。即ち投輪とか、剣玉、板玉(別項図にある如き)網玉、投玉(バスケットボールの類)、テーブルテニスのようなものが割合に多いのである。

と剣玉についても触れ、少しだけ紹介されています。ニュアンスは、フランスの遊び道具にも剣玉に似たものがある、という書き方となっています。

第五節には英國玩具の特所という項目がありますが、説明は簡素で、
「英國の玩具は大体にて仏國玩具と大差ないようである」 という文から始まり、その続きには
「製品も中々丁寧に造っている」

とあります。

上の画像は小さくて見づらいのですが、この各国流行玩具図解製造法(上)の中で、けん玉の図が載っている頁です。国別玩具紹介の頁ではなく、製造法を紹介する頁の後にある「其他挽物玩具各種」という項目にまとめられています。

上記画像でのけん玉の図はロ(ろ)とハ(は)なのですが、
「ロは、之も従来あるところの剣玉である」

「ハは剣玉の一種であるが下方は剣形にならず、又此所(ここ)に玉を受け差しするのでなく団扇形の中央に穴ありて此所(ここ)に玉を受け又上方には茶碗型の壺ありて此れにも玉を受ける(独逸製は此壺がゴム製になっている)」
とドイツの剣玉について言及しています。

ロ(ろ)の説明からは、従来からある剣玉だ、と書かれていますので、以上の資料から、けん玉(剣玉、拳玉)は大正時代には一般的な玩具となっていた事がうかがえます。

日本のけん玉のルーツについて、どこかに資料がないかと思い、色々と江戸、明治、大正時代の文献を読んできましたが、その起源についてははっきりと解りません、というのが現状での結論となります。

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日月ボールの登場

※写真:フランスのビルボケ(左)と大正時代に考案された日月ボール(右・復刻版)

大正時代になると、日本のけん玉(拳玉、剣玉)の形状に大きな変化が現れます。

日月ボールと呼ばれ、その後競技用けん玉(技がやりやすい形状、素材を求めて作られたけん玉)としての進化を遂げ、世界中に広まる、その後の歴史については、競技用けん玉の歴史ページにて紹介いたします。

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