けん玉(拳玉、剣玉、ケン玉、ケンダマ)の歴史 -その1-

※写真上:歌川国貞1786-1865の絵に残された拳玉の絵
※写真下:歌川広重1797-1858 の絵に登場したけん玉(箱根産湯本細工)

けん玉(拳玉、剣玉、ケン玉)についての歴史、そしてけん玉が伝承されてきた文化的な背景についての調査、研究、議論は今日まで十分になされてきていないように思われます。
未だはっきりとしない点も多く推察の域をでない記述も残りますが、時間の経過とともに歴史的資料や口伝に出会う難しさは増すことを鑑み、これまでに調査した文献とインタビューを通して得た現時点での見解をここに紹介したいと思います。

このページでは解りやすい解説というよりは、客観的な資料提示を元にけん玉の歴史を紹介したいと思い記述しています。

※けん玉(拳玉、剣玉)に関する資料は他の玩具に比べて非常に数が少なく、収集には中々苦労しています。このサイトで紹介したもの以外の文献・情報をご存知の方がいらっしゃればGLOKENまでご一報頂けますよう、お願いいたします。

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日本のけん玉の歴史 ~文献に現れたけん玉(拳玉)~

「拳会角力図会」に登場したけん玉

※写真:拳会角力図会に登場する匕玉拳に用いる木酒器玉之図(こっぷたまのず)

日本の文献記録におけるけん玉の登場は現在のところ「拳会角力図会」(けんさらえすまいずえ※)が初出と思われます。
この資料ではけん玉の図が載っています。

当時は大人の酒席(それもお金持ちの)での、※「拳」という遊びの道具として使われ、それは匕玉拳(すくひたまけん)と呼ばれていたようです。

「匕」という漢字は現在でも訓読みで「さじ」ですので、何となくけん玉に繋がるイメージが湧きます。

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※写真:拳会角力図会における匕玉拳の説明(左頁)

匕玉拳の頁(図は解説より後の頁に登場)
「これも図に出せしごとく、唐桑、花梨、紫檀などのかたき木にてコップを造り(図のごとく少し長き形のコップなり)本(もと)に長き紐を付、そのはしに同木にて造りたる玉を結び付け、右の木酒器(コップ)へ彼の玉を五遍のうち一遍すくい入れるか、又三遍の中に一遍すくい入れるか、いずれにても最初のきわめによりて(最初の取り決めにより)玉をすくいこみ、勝ち負けを争う。この拳、双方かわるがわるにすることなり。すくい損じたる方に酒を呑ます也。是も酒席に興ありて、はなはだ面白き拳なり、是玉をすくいこみて其日の吉凶をも試み、または待人などをも試みることなり(占いのこと)。」
という説明文が載っています。

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※写真:江戸時代の拳遊びの図解書「拳会角力図会」

※「拳会角力図会」下之巻 義浪・吾雀篇述、1809年(文化6年)

※「拳」が遊戯として世の中の粋人の評判となったのは元禄の頃と思われ、江戸時代に流行した「拳」には畸陽拳(きようけん)、庄屋拳(狐拳とも呼ばれる)、蟲拳(むしけん)、虎拳などがあり、二人で手の開閉または指の屈伸などによって勝負を争う遊戯であった。

匕玉拳は道具を用いる点で若干異なるものの、その目的は同じであるといえます。

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「嬉遊笑覧」に登場したけん玉

※写真:嬉遊笑覧(拳玉が紹介されている頁)

拳玉(けんだま)という名称は「拳会角力図会」より21年後、1830年の文献に登場ししたのが初めて、と見られています。

江戸の風俗習慣や歌舞音曲などを中心に社会万般の記事を集め類別した「嬉遊笑覧」(きゆうしょうらん※)には次のように書かれています。
「安永六、七年の頃(1777~8年頃)拳玉というものいできたり。猪口の形をして柄あるものなり。それに糸を付けて先に玉を結びたり。鹿角にて造る其玉を投げて猪口の如きものの凹にうけ、さかしまに返して細きかたにとどむるなり。若し受け得ざる者に酒を飲ましむ」

つまり遅くとも、1777~8年には、拳玉(けんだま)が存在していたことがこの文献によって証明されていると言うことが最大の特徴です。
※「嬉遊笑覧」(喜多村信節著)巻十上・飲食の部, 1830年(文政13年)刊

※この嬉遊笑覧には図がありませんが、お猪口(ちょこ)があるということから今風で言えばワイングラスの様な形状をしていて、柄がついており、「細きかたにとどむる」ことができるものだったようです。
解釈としてはひっくり返して細い方に乗せることもできる、と捉えるのが妥当だと考えます。つまり、「拳会角力図会」(けんさらえすまいずえ)にある図のような形状の拳玉を紹介していると言えます。

※鹿の角でできたけん玉、という言い回しを多く聞くことがありますが、鹿角にて造る、というのは「鹿角にて作った、その玉を」です。嬉遊笑覧の文章はそう読み取るのが自然ですし、ワイングラス状の盃は木製で、明治時代まで独楽作りで有名な神奈川の大山で高級材で作られていたという記録が残っています。
つまり、木製のグラス型をした器に、鹿の角で作った(小さな)玉をいれて遊んでいたと読み取れます。

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うなゐの友に描かれたけん玉

※写真:うなゐの友・けん玉図

この時代のけん玉の形状については、後におもちゃ博士の異名で知られることになる郷土玩具研究家の清水晴風が出した「うなゐの友※」からも知ることができます。

「うなゐの友」の図からは玉に穴があいていたかどうか判断がつきませんが、このページの最上部に紹介した浮世絵家・安藤(歌川)広重の描いた絵にもほぼ同様のものが描かれています。それを併せて考えると、玉が今で言うけん先に刺さっているように見えます。
安藤(歌川)広重が生きた時代は1797年~1858年ですので、時期的にも近く、穴が空いていたと考えて良さそうに思います。

ということは、江戸時代の日本には少なくとも大きく分けて二種類のけん玉があったと考えて良さそうに思います。 

※「うなゐの友」(清水晴風著)二編、1902年(明治35年)刊

けん玉の歴史を文献上で読み解く上での消化不良

また、江戸時代に発刊された「江都二色(えどにしき)」にも江戸時代に流行したとされる玩具88種が記録されています。ドキドキしながらページを一枚ずつめくって調査しましたが、残念ながら拳玉(けん玉)については載っていませんでした。

しかし、昭和に入って発刊された「日本遊戯史」(酒井欣著、建設社、1934)の第16章「拳」の項目中に、匕玉拳(すくいたまけん)が出ており、
「この拳は、拳の盛時時代安永年間に創案された玩具で(中略)、今も児童の遊びつつある拳玉(日月ボール)の前進であって當時(とうじ)でも拳玉といわれていた。勿論現今の拳玉は創案當時とはいたく形態が異なってはいいるが(略)」
と説明がなされています。

その頁に拳玉の図として「江都二色」からの図を掲載されているのです。
その図が、木臼の図(「うなゐの友」・けん玉の隣にある木臼にそっくり)であり、どう見ても単なるミスのようにも思えるのですが・・・
もしかして、何か深い謎があるのかと「江都二色」については少し消化不良ではあります。

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明治~大正時代の文献に登場するけん玉

※写真:「童女筌」で紹介される「盃及び球(カップアンドボールの邦訳)」

文部省が明治9年、イギリス書籍の翻訳本「童女筌(どうじょせん)」(ヱル・ファレンタイン著)を発行しました。
元々、ヨーロッパの女の子の遊びを紹介した本ですが、そこで図つきでけん玉遊びのことを「盃及び玉」として(カップアンドボールの直訳)説明がなされています。

明治に入り、けん玉は酒席での遊びから、一転、子どもの遊び道具として捉えられるようになりました。童女筌がどの程度の影響力をもったのかは不明ですが、他の文献でも子供どもの遊びとして書かれることが多くなりました。

また、「けん玉」が少なくとも明治末期までは、大きく分けてカップアンドボール型と、下記に紹介するビルボケ型との両方が国内に存在、遊ばれていたということが、文章・図から伺い知れたことは興味深いことでもありました。

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※写真:「玩具ト遊戯」剣玉の図

明治27年(1894年)発刊、「玩具ト遊戯」にも図つきで、

「(略)かの剣玉と称する遊戯も実は腕の運動なるかの如く見ゆれども、矢張り触覚神経の働きにきするものなり(剣玉とは英語にて「コップ、エンド、ボール」と称し球に六、七寸の細糸を附して柄に結び、柄をとり親指と人指しにて球を躍らして自由に転廻(てんくわい)せしめ、その動き方の定めりたる時を見定め少しく動かして球をなげあげひょいと「コップ」の中に受け、或は、柄尻の剣に受くる游なり。(中略)。我邦(わがくに)にては挽物細工として製造し(略)」 

と、紹介されています。

明治41年「明治事物起源」(石井研堂/著 橋南堂)には、「ケン玉」として、

『幼童がケン玉という小器を玩ぶこと。明治40年頃より行わる。明治9年文部省発行【童女筌】中に、「盃及び球」と題して揚げあるものに同じ』

とあります。

また、大正3年「玩具の話」(天沼匏村著、芸艸堂)や大正6年「日本玩具集」(児童用品研究会編、芸艸堂)にも、図はありませんが剣玉が登場します。

玩具の話
「これは新しい玩具でしょうか。古い書物には見られぬようですが轆轤細工(ろくろざいく)の棒で一方が尖がり一方が皿になっているのへ糸で繋いだ玉をのせるのです。湯本細工などに極めて普通です。玩具としては上等のものでしょう。」

日本玩具集(四十一)剣玉 
「木製なり。一端は尖りて一端は 圓(まる)く凹みて (中略) 一孔を有する玉となるより名く、両者を糸にて繋ぎ、前者を手にして (中略)凹める方に受け或(あるい)は尖れる方ににて球の孔を刺し受くるなり。主として六、七歳頃よりの男児の用とする。明治十五、六年頃より行わる。」

とあります。

上述、「新しい玩具」「上等のもの」というのは、古くから伝わる伝承玩具としてのイメージが強い今となっては、不思議な印象をうけます。
しかし、歴史的に見ると、実はけん玉は郷土玩具や伝承玩具といった分類とは少し違ったカテゴリーに入るということが解ります。郷土玩具を集めた文献などにも登場する機会が非常に少ない原因の一つだと思います。

日本玩具集では「男児の」「明治十五、六年頃より」という解説が興味深く、剣玉はまだまだ新参者で、文献によってまちまちの説明がなされている、という捉え方もできようかと思います。
また、「明治十五、六年頃より」というのは、今から見れば明らかに誤りではあります。文献によっては明治四十年頃より、と書かれているものもありますので、年号が掲載されている=正確な情報、とは言い難いのが現実です。
上述「嬉遊笑覧」では安永六、七年頃(1777~8年頃)に拳玉というものができた、と書かれていますが、こういった例を見ればそれが不確かな情報かもしれない(し正しいかもしれない)という事がわかります。
現在のところ、嬉遊笑覧が年号付きでけん玉を紹介している最も古い文献なのですが、これより以前に拳玉があった可能性は十分あると考えています。
「遅くとも」1777~8年には拳玉があった、という表現が今の所正確な表現かなと思います。

以上が、現在の形のけん玉になる以前のけん玉(拳玉、剣玉、ケンダマ)の主な文献の紹介となります。

・・・もっとわかりやすい説明で言い切れば、その方が聞こえはいいのかもしれません。ですが、ものの歴史を調べて後世に残す上では、資料と真摯に向かい合いたいと考え、、、まずは資料の正確な提示を優先にしてつくってしまうと、こんな分かりづらいページになってしまいました。
今後も研究を重ね、より正確な情報に更新して参りたいと思います。

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