モザンビーク旅行記①

【はじめに】

2015年12月、モザンビークへ行ってきました。
・・・とはいっても、日本からはほとんど馴染みのない国だと思います。
モザンビーク共和国は、アフリカ大陸南東部に位置し、面積は日本の2.4倍程度、首都はマプト、公用語はポルトガル語(1975年までポルトガルの植民地)の国です。

なぜモザンビークへ?と思われる方もいらっしゃると思いますが、わたくし窪田は、大学卒業後、青年海外協力隊の一員として2004年から2006年まで当地に赴任していました。
首都から80kmほど離れたナマアシャという村中学校の理数科教員として2年間を過ごしましたが、もちろんその時にもけん玉を日本から数百本持っていき、週末にはけん玉教室や大会等を催していました。
その時の教え子の一人、Flavio(フラービオ)君は、2006年大阪で開催されたワールドオープンけん玉大会に招待され、もしかめの部で優勝(記録:8時間)しています。

2007年2月に訪問したのを最後に、モザンビークに行く機会は無くなっていましたが、フラービオからはけん玉を広めたいから持って来て欲しい、という連絡を何度も何度ももらっており、ずっと行きたいなと思っていました。

けん玉は、世界中の誰でもが、いつでもどこでも遊べる道具だと思いますし、世界を繋いでくれる最高のツールだとも思っています。
けん玉ワールドカップは、世界中すべての国と地域から出場者があるイベントに したいと、GLOKENを設立した時から考えています。

一方で、アフリカの多くの国々の所得水準では、けん玉を購入することもまだ難しいですし、 インターネット環境も整備されていないのでその存在を知ることも非常に難しいのが現状です。
あと5年、10年、20年すればけん玉はアフリカの国々でも遊ばれる道具になり、 けん玉ワールドカップへの出場者も出てくると確信していますが、僕が行くことでそうした動きが少しでも加速するのであればと思い、今回8年10ヶ月ぶりにモザンビークに行こうと決意したのでした。

【モザンビーク旅行記】

飛行機を乗り継いで、30時間ほどでモザンビークへ到着、既に夜でした。最近は強盗やタクシーでのトラブルも増えていると聞いたので、JICAモザンビーク事務所で勤めている友人に迎えに来てもらいました。

翌朝、早朝より真夏の太陽が照りつけていました。 両替等のために街をちょっと散歩するだけでも汗だくになります。10年前とは比べ物にならないほどの交通量と、物価の上昇に驚きました。

午後、フラービオと再会し、けん玉を渡したり、翌日からの移動の確認、車の手配等を。今回の滞在中は学校関係は夏休みなのですが、小学校の先生をしているフラービオがけん玉を子ども達に紹介できるよう、60本程度持って行きました。

今回のけん玉は、堀内ウッドクラフトより「山河」、KendamaUSAより「Tribute」、Sweetsより「Focus」、KendamaDKより「KROM」をそれぞれ提供していただきました。本当にありがとうございました。

翌日は昔住んでいた村へ出かけ、けん玉ワークショップを2箇所で行いました。
それ以降も数回訪問した村やビーチにいた子ども達とけん玉をしてきました。
もちろん、そうした単発の活動で子どもらが瞬間的に楽しんでくれることもいいのですが、できうれば持続可能な活動として根ざしたいと考えています。

JICAモザンビーク事務所の所長、次長、ボランティア調整員の方とも意見交換させて頂き、 今後、各地の学校に配属されている「青少年活動」ボランティアにけん玉を配布、けん玉を活動の一環に取り入れて頂けることになりました。
また、モザンビークの教育省(日本でいう文科省)の初等教育局長や外務省のアジア局長にも、けん玉を紹介、プレゼントする機会にも恵まれました。
2016年以降、JICAモザンビークや青年海外協力隊員とも連携を取りながら、モザンビークにけん玉を紹介していける土台を作ることができたように思います。

今後はモノを送るだけに留まらず、国内外のけん玉プレーヤーを誘って学校訪問やイベントを開催できるようにしたいなと考えています。

長くなりましたので、印象に残った出来事や考えはまた次回に引き継ぎたいと思います。 (窪田)

けん玉で遊んでいる様子2の

モザンビークの子どもたち

モザンビークの子どもたちにけん玉を教えている様子

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